2018/07/02

『滋賀地区 責任者の独り言』

今年も早いもので、6月も過ぎ去り、今年も残り半分となってしまいました。
年々時の過ぎ去るのが早いと感じてしまいます。
皆さんお久しぶりで御座います。現場責任者のMです。
前回の「独り言」が4月9日となり、約3ヶ月ぶりの登場となります。

前回のブログに引き続き、大阪北部地震について書こうと思います。
6月18日(月)7時58分に職場である滋賀県草津市で業務を行う準備をしていた所、強い揺れを感じました。
携帯電話の緊急アラームがあちらこちらで鳴り響き、震源地が北大阪地区である事がわかりました。
しかも、震源地に挙がっている市名が自分の住んでいるところ・・・

阪神・淡路大震災や東日本大震災等も体験してきましたが、震源地になるなんて、初めての事でした。
現場の従業員の方々は固定電話も携帯も繋がらない、家族の安否がわからない等、発生当時は少し混乱状態でしたが、
LINEアプリが繋がる等新たな情報も入り、結局午前9時~10時頃になって少しずつ連絡が取れるようになりました。

かくいう私もLINEで妻の安否確認をしました。
妻の職場が大阪梅田近隣という事もあり、電車の運行具合が気になりましたがやはり、電車も新大阪駅付近で停止。
車内に閉じ込められている状況で、復旧の見込みが立たないという事でした。
その頃固定電話が繋がりはじめたと聞き、両親の無事を確認し、安堵しました。

滋賀の方では、通常通り業務が開始となりました。
しかし最新の情報を確認していると、従業員の帰宅方法の問題が出てきました。
午前中までに在来線が全線運転見合わせ、高速道路も閉鎖された為、どうして帰って貰うかを考えなければならない事に。
まずは、公共交通機関がいつ復旧するのかを逐一各私鉄沿線のHPで確認していました。

大阪方面から来ている従業員からは、家の食器棚が倒れ、食器が割れているやら本棚が倒れている等の話が入ってきます。
自宅がどうなっているのかが気になり、逸早く妻に帰宅して状況の確認をして欲しいと思い、再度LINEで連絡。
すると妻からは途中で電車を降ろされ、新大阪駅まで歩き、自宅までタクシーで帰るとのメールがありました。
直ぐに次のメールが来て、タクシー乗り場が人で溢れ返っており乗れないとの事。
歩いて帰るという連絡と、携帯のバッテリーが無いというメールで最後の交信となりました。

最新のニュースが飛び込んできました。
9才の女児が小学校のプールの外壁が崩落して、死亡との事。しかも、この小学校自宅から近い!
ますます自宅の様子が気がかりになってきました。
こうなってくると悪い方向に考えるもので、倒壊していないか、燃えていないかと思ってしまいます。

JR西日本や阪急電鉄は運転見合わせが続いていましたが、
まず13時30分頃高速道路が通れるという情報と、14時51分で京阪電鉄が全線復旧するとの情報が入りました。
大阪方面から来ている方は車で帰す事が出来るし、電車で京都方面から来ている方も京阪で帰宅する事が出来ます。
かなり帰り方に苦労をかける事になりますが、帰宅方法はどうにか確保出来そうなのでホッとしました。
しかし、大阪方面へ車で帰すにも車が1台しかなく、2名が乗車できないことに・・・
人選が必要となり、協議の結果、僕ともう一名の方が京阪経由で帰るという事になりました。

業務終了後JR西日本のHPを見ると、運転見合わせから17時頃に動くかも(?)という画面に変わっていました。
これでJRに流れた従業員が出てきました。
僕もバスにて瀬田駅に向かう事にし、最悪京阪電車で帰宅出来る方法を取りました。

妻から無事17時頃に歩いて帰宅したとのLINEメールがあり、家の状況も教えて貰いました。
僕の本棚が動いており、本が落ちているやCDラックが倒れているという事でした。
頭の中で自分の本やCDが散乱しており、メチャクチャになっている絵が浮かんできます。早く帰らねば!

私はバスで瀬田駅に向かうも車が混んでおりなかなか動かず、結果瀬田駅に到着したのが18時25分頃となりました。
このままJRで帰宅出来れば早いと考え、駅に確認に向うと、17時に動くかも(?)だったはずの情報が19時に変わっており、
19時ならあと30分程なのでJRに賭けてみようと思い、瀬田駅周辺で待つことにしました。

19時頃瀬田駅に向うと、駅構内のアナウンスで22時まで運行しないとの事。
これは駄目だと思い、京阪電車で帰宅する為JR瀬田駅から京阪石山まで、歩く事を決断しました。
ネットで調べると、歩いて38分と出てきました。ここは帰宅の為にとにかく歩くのみ!
歩いている途中で道が間違っている事に気がつき、急遽京阪の唐橋前という駅に向う事になり、19時45分頃到着。
そこから浜大津まで行き、乗り換えて京阪三条まで行き、特急に乗り換え枚方駅まで帰ってくる事が出来ました。

枚方駅到着が21時35分頃となり、そこから京阪バスで高槻市駅まで出ようと考えていましたが、
人が溢れ返っており、何時バスに乗れるか分からなかった為家まで歩いて帰る事にしました。
枚方駅から歩いて帰るのは、学生の時以来でした。
途中コンビニに立ち寄ったのですが、物品の運送も滞っているのか商品棚には何もない状況。
飲料水もほとんど無かったのですが、何故かお酒だけはたっぷり陳列されており、個人的にはこれはこれでよしかなと思いました。
別のコンビニでは店員が制服ではなく私服でレジ対応、店内の床は飲料水か何かが落下したのかベタベタでした。
また、飲食店や居酒屋も営業している所がなく、今回の地震によるダメージがかなりのものだったという事がわかってきました。
自宅周辺に戻ってくると、あまり普段と変わりは無いように感じましたが、神社・仏閣が多い地域で、その壁の一部が壊れているというのを見かけました。

自宅に帰宅後、妻と今日一日の出来事を話し合い家の状況を確認しました。
僕が想像していた様な事にはなっておらず、本棚が動いて、数冊の本が落ちていただけでした。
CDラックも倒れておらず、ラックの上においている数十枚のCDが落下しているだけでした。とりあえず、良かった。

今回、震災にあった方の苦労というのを少し知った様に思います。
メディアで見たり、聞いたりした事が本当に起こっている事が信じられない気持ちでした。
携帯電話の重要性を改めて感じました。またJR西日本さんに対しては、復旧が不確定なら時刻を出さず、確実に電車が動いている時間をHPにアップした方が良いのではないかと思いました。
震災や事故があった際にニュースで見ていた帰宅困難者にまさか自分がなるとは思いませんでした。
交通会社各社には、施策を考えて欲しいものです。

大阪北部地震発生から1週間が経過しました。
プールの壁が崩落した小学校では、崩落した壁にブルーシートが掛けられ、警官が立ち入り出来ない様に警護にあたっていました。
献花台が常設されており、献花する方、手を合わせる方を見ると、これが自分の住んでいる町なのかと信じられない気持ちです。
また、周辺の家では、屋根瓦が破損している住宅もあり、屋根にブルーシートをかけている家も目立ちます。

やっとガスも復旧しましたが、ほぼ1週間ガスが止まっていた地区もありました。
自衛隊の方達やボランティアの方達の活動、地方のガス会社からの支援による、復旧工事。
1週間が経過し、少しずつ日常を取り戻しつつあります。皆様の支援・援助に大変感謝しております。

しかし、茨木市や高槻市でも、家の倒壊を恐れ、非難生活をされている方もいらっしゃると聞きます。
一日でも早く、平穏な日々に戻れる事を願っております。

最後に、この地震で被災された方、犠牲になられたご遺族皆様に対し、心よりお悔やみ申し上げます。